「NiGHTS」というゲームがある。セガサターンで17年前に発売され、今でもPS2、PS3、XBox360で遊ぶことができる名作だ。その「NiGHTS」のCD-ROMが部屋の片付けをしている時にひょっこりと出てきた。ゲーム機自体はないし、他のソフトもない。本当に「NiGHTS」だけ。当時、私はまるでそのゲームを経典か何かのように愛していたので、度重なる引越しにも特別扱いで耐え、今まで生き延びてきたのだろうと思う。色褪せない思い出。非売品の「Christmas NiGHTS」のリンクアタックで864リンクしたことも、私のしてきたゲームの中で、最も幸せに満ち溢れた美しいゲーム本編のエンディングも、ちゃんと心の棚にしまわれ、今でもキラキラとした宝石のような輝きをはなっている。
「NiGHTS」がどんなゲームかというのを説明するのは簡単だ。誰もが知っているマリオを思い浮かべてもらえばいい。違うのは、主人公が歩きではなく、飛んでいることだけ。古き良き時代のマリオと同じく、どこでも自在に飛べるわけではない。十字キーで上下左右、ボタンでドリルダッシュという加速ができるが、基本操作は本当にそれだけ。それ以外は何もない。自分の身長と同じキノコを食べたら身長が2倍になったり、花を引っこ抜いて火が口から吐けるようになったりはしない。オプションもレーザーもバリアーもない。そんなゲームが、なぜ、17年後も私の心を打ち続けるのか。
「NiGHTS」の生みの親は、「NiGHTS」を生み出す前、こんなことを考えていた。「沖縄にヤンバルクイナという飛べない鳥がいるらしい。この鳥が飛べるようになったら、楽しいんじゃないか」。そしてできあがったものが、「NiGHTS」だ。企画内容は言葉にすれば単純で、あまりにも馬鹿馬鹿しいが、つまりは、こういうことだ。「飛ぶことは楽しい! 快感だ!」 十字キーとボタンひとつ、星空に比べればとても矮小なTV画面でそれを感じさせることは、本当に困難な道のりだったと思う。当時の開発者インタビュー記事を読むと、どうやらそれは事実だったようだ。ゲーム機の機能上の制約、ゲームとして売れるものを作らなければならないという事情もあり、色々な妥協もあっただろう。しかも、目標は「楽しさ・快感」という、数字では表せないもの。テクニカルな問題ではなく、メンタルの問題、言い換えれば、ファジーでつかみどころのない目標だ。楽しさを追求することは、きっと楽しくなかったこともあったに違いない。「NiGHTS」には執拗に「飛ぶことの快感」を感じさせる要素が詰まっている。ある種のパラノイアのように、本当に、執拗に。しかし、そのパラノイアな開発者達の異常なディテールへのこだわりによって、ごく単純な「NiGHTS」の楽しさが実現している。そう、確かに「飛ぶことは楽しい! 快感だ!」
何事においてもそうだが、細部への異常なこだわりは、当初の目的を失って迷走してしまうことがある。しかし、「NiGHTS」がそうならずに今でも多くの人々に愛されているのは、開発者達がパラノイアになりつつも、ゲームの本質というものを忘れなかったからだ。TVゲームとは何か。綺麗な画面を見せることや、含蓄のあるストーリーを語ること、ゲーム機の性能限界に挑戦することは、手段であって目的ではない。目的は、プレイヤーを楽しませること。「NiGHTS」は見事に、それに成功していた。
53,230kmでオイル交換をしている時に、そんなことを思った。なぜか出入り先の10W-30のオイルがCASTLEのSNに変わっていたので、今度からは自分で買おう。